市場の音楽2

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広場にバイオリンの音色が響き渡った。

人々は聞きなれない音色に足をとめてその音楽のほうへ顔を向ける。

優しく甘い音色はその場の空気の色さえも変えていった。

女の子も目を丸くして竹人が演奏するその姿を見守った。

エルガー作曲“愛の挨拶”。
CMとかでも良く流れていて誰でも一度は聞いたことがあるであろう有名な曲だ。

やがて約2分間という短い演奏が終わり僕がバイオリンから弓を下ろした瞬間に
たくさんの拍手が沸き起こった。

「すごいよ!!お兄ちゃんすごい!!ねぇ、もう一曲弾いて!!」
女の子が驚いた表情を作りながら裾を引っ張ってせがんだ。
「いいよ」
僕は快く依頼を受けると再びバイオリンを構えた。

今度はもう少し元気の良い曲。

クライスラー作曲「テンポ・デ・メヌエット」

本当はピアノの伴奏もつくのだが今回は当然無伴奏。
だが無伴奏でも十分明るさを保てる曲だ。
ピアノ間奏のところは適当に切ってバイオリンだけでつなげて演奏する。

やがて音楽の旋律に乗って人々が踊りだし始めた。

横目でその様子にちょっと驚きながらも自分の演奏でこんなにも喜んでくれているなんて
嬉しいじゃないか!と感激する。

だんだんと演奏も乗りに乗ってくる。

さらにもう少しテンポが速く軽快な曲、同じくクライスラー作曲「道化師のセレナード」
最後に僕の大好きな曲の一つ、パガニーニの「ラ・カンパネラ」を弾き切ったときには
大きな歓声と拍手に包まれていた。

少し息を切らせながらなんとか完奏できた自分にほっとしつつ
一度深くお礼をする。

すると期待したとおりバイオリンケースにたくさんのコインが投げられただ。

さっきテントで見せられた青いガラス色のコインもたくさんある。
ほかにも赤や桜色、黄色に緑と色とりどりのコインが投げられた。

やった!!
これで何か食べ物が買える!!

嬉しさのあまりにやけ顔をしながら
ありがとうございます!といいながら何度もお辞儀を繰り返した。

やがて観客が散っていくと
僕は座り込みバイオリンケースに集まったコインをキラキラした目で眺める。

ケースの中から青いコインを一枚拾い女の子に差し出して言った。
「これでそのりんごを売ってくれるかい?」
女の子はにこりと微笑んだ。
このとき初めてこの子の笑顔を見たような気がした。
「そんなにたくさんいらないわ。1キラでいいのよ。」
そういうと自分でバイオリンケースの中にあった黄色いガラスの硬貨を一つ拾い上げた。
「それにこれはオルティキっていうのよ。」
そういいながらピンク色のりんごを一つ手にとって差し出して見せた。

「ありがとう」

オルティキを女の子から両手で受取った。
ふと女の子の瞳を見ると
最初は真っ黒だったのが紫色に変わっているのに気がついた。

まるで宝石のようにきらきらしたそれは美しいアメジストのような紫色であった。
思わず見とれ、手が止まる
と、

「カンナ!」
女の子の後ろのほうから女性の声が響いた。

「あ!おばあちゃん!!」
「どこへ行ったかと探しちまったよ。さ、帰るよ!」
カンナと呼ばれた女の子は嬉しそうに笑うと老婆に駆け寄るとスカートにしがみついた。

「あのね、おばあちゃん!この人が薬湯を飲ませてくれたらすごく元気になれたの!
もう痛くないよ!」



「本当かい?
ああ…、お前…その目は…」
女の子の前髪を退けて女の子の瞳を真っ直ぐに見つめた。
そして僕のほうを振り向くと深々とお辞儀をして礼を述べた。

「あ…いえ…たいした事をしたわけじゃ…」

痛いって…この女の子はどこか具合が悪かったのだろうか?
一見そんな風には見えなかったが。

「それにね、すごく綺麗な音を出すものを持っていて、さっきも演奏してくれたところなの。
皆で踊ったりしたんだよ!」

「そうかい、それはそれは」
そういいながら女の子の頭を優しくなでると僕に向かって一瞥してみせた。

「じゃあねー!」
手を振りながら無邪気に帰っていく女の子と老婆。

僕はにこにこと微笑みながら手を振ると二人を見送っていた。

二人が市場の中へ消えていったころ
空を見上げるといつの間にか日は暮れ、美しいラベンダー色に染め上がっていた。

それに少し寒い。
5月にしては寒すぎる。

まるで9月中旬ごろのような冷たい風の匂いがした。

今に鈴虫の鳴き声でも聞こえてきそうだ。

もう一度その場に座り込むと僕は女の子からもらった“オルティキ”を右手に持ち直した。

やっとの食事だった。

ガブリと一口ほおばってみる。

!!

見た目よりも柔らかかった。
酸味もある。
まるでトマト、
いやトマトそのものの味のようだった。

すっぱいのは苦手な筈なのに、
不思議と何口でもいけてしまう。
それはやはり空腹と喉が渇いていたせいだろうか。

気がつくと“ヘタ”を残し完食していた。
そして、
ぼろぼろと頬を伝う涙。



なぜ僕は涙を流しているのだろう。
それに少し胸が痛む。

こんなにもトマトがおいしいものだったなんて。
食べ物でこんなに感動したことが僕にはあっただろうか?
生まれて初めて味わう感動とその味に僕は感謝しても仕切れないほどのありがたさを
心の中で感じていた。
残ったヘタをそこらへんに放り投げて捨てようかと一瞬悩んだのだが
なんとなく罪悪感を感じかばんのポケットの中に入れた。

涙を制服のすそでぬぐった、とそのとき
背中のほうで人の気配がしたかと思うと
がばっ!という音がした。

驚いて振り向くと
少年がバイオリンケースを抱えて立ち去るところだった。

「あ!」

少年はバイオリンケースを抱えたまま駆け出した。

「待って!」

慌てて立ち上がるとかばんを肩に引っ掛け少年を追いかけた。

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