第四章:市場の音楽
-1-
何時間歩き続けただろう。
もう足の神経が麻痺して棒のようだ。
だが、次の瞬間その目の前に広がる光景を目の当たりにし
一切の疲れが吹っ飛ぶ。
町を見つけたのだ。
小高い丘を下ったところに
かなり大きな町を見つけた。
思わず目が潤む。
久しぶりに人に会える!
これで何かしらの解決策を見出せるかもしれない。
走り出そうとしたところで足がもつれ
思わずこける。
おいおい、足ってば。
もうちょっと頑張ってくれよ。
ほら、目の前に村があるじゃないか。
あそこまでいけばゆっくり休めるしご飯にだってありつけるぞ!
自分でも訳が分からなかったがなぜか
笑い声がくすくすと漏れていた。
疲れすぎて軽くテンションがあがっている様だ。
一歩一歩、
歩けば歩くほどに
町は近づいてくる。
そのたびにその詳細が見えてきた。
建物は石造りのものが多く、
竹人が見慣れてきたコンクリートのビルや木造の家とは造りが大きく異なる。
2階建ての建物が多かった。
時計塔のようなものが一本、村の中心部分に伸びているだけで
他に高い建物は見当たらなかった。
例えるのなら少しレトロなヨーロッパの町並みといったところだろうか。
どこかの映画村かヨーロッパ村にでも来たんだろうか?
村に向かい歩を進めながらふと思う。
そうだ。
もしかするとそうかもしれない。
確か金倉市の裏手のほうに映画の撮影所があったと聞いたことがある。
こんなに大規模だとは知らなかったが…。
そうか…林をどう間違えて進んだのかはわからないがそこに出てしまったんだ!
なんだ…!
なんだそうか!!
そういうことか!!
じゃあさっきの半馬人は撮影中のキャスト?!
さっきのも、もしかしたら撮影中だったのかもしれない。
ああ…そうか、そうなのか!!
ならつじつまが合うじゃないか!
蝶だって当然作り物に決まっている。
あんなガラスの羽をした蝶がいるものか!
なんだ…!
急に肩の力が抜けたような気がした。
一瞬、どこかの異世界にでも紛れ込んでしまったのではないかという妄想を抱いたが
所詮それは小説やおとぎ話の中での話しに過ぎない。
この世界にそんなものがある訳がない。
なんだ!
「なぁ~んだ!」
口に出して喜んだ。
今までの自分がちょっとばかばかしく思えた。
携帯もきっとサーバーがトラぶったとかそんな感じなのかもしれない。
「なぁ~んだ!!」
もう一度口に出して喜んだ。
やがて町の入り口まで差し掛かる。
すると入り口のところに数人の女性が輪を描くように立っているのが見えた。
衣装はやはりヨーロッパの民族衣装のようである。
舞台衣装だろうか。
その輪に近づいていくと女性の一人が僕に気がつき
目を丸くして見せた。
突然の部外者の登場に驚いたのだろう。
それとももしかして今まさに撮影中?
慌てて回りをみるがカメラらしきものは見当たらない。
「あの…」
思い切って声を掛けてみる。
すると突然和やかに話していた女性たちの態度が変わる。
まるで僕を化け物でも見るかのような鋭い目つきに変わったのだ。
互いに腕をつかみ合い今にも逃げ出しそうな体制をとる。
一人の女性がこわごわという。
「あんた、一体何者だい?!」
その態度にちょっと驚いたがなるべく安心させるように
ゆっくりと落ち着いた口調で答えた。
「あの…すみません…道に迷ってしまって。ここから一番近い駅を教えていただけないでしょうか?」
「あんた、ケンタウロスじゃないんだろうねぇ?!」
僕の質問には答えてくれずまた新しい質問をぶつける。
「は?」
思わず聞き返す。
「どうなんだって聞いてるんだよ!」
噛み付くように怒鳴る。
「え…?あ…ケンタ…?違いますけど…」
正直彼女が何を言っているか理解できなかった。
そういう台詞のある役で、それに入り込んでいるところなんだろうか。
「なんか違うみたいじゃないかい?
こんなひょろっとした弱っちぃケンタウロスなんて見たこともないよ。」
もう一人の女性が言う。
弱っちぃ…。
一体何と比べていっているんだろうかはしらないが正直言い気分はしなかったが
気を取り直す
「あの…ここから一番近い最寄り駅を教えていただけないでしょうか?」
「え?なんだって?駅?船かい?」
船?!
おかしいな…そんなところまで歩いてきていたのか?
確かに金倉市には海がある。
が、海と言っても港ではなく海岸だから船着場なんてないし
映画の撮影所は海とは間逆の方向にあったような気がしたのだが。
それに金倉市の海の近くにこんな広大な草原なんてあっただろうか。
だんだんと頭が混乱してくる。
「おや、旅人さんかい?」
脇の家から人が出てきた。
小柄でやはり民族衣装のようなものを着た老婆だった。
手には大きなざるかごを持っている。
それを聞いて女性たちもとたん安心した様子をみせた。
「珍しい格好をしているね。どこから来たんだい?」
「え?」
これはジョークだろうか、それともまともに答えるべきなのだろうか。
返事に困る。
「市場にでも寄っていくかい?にぎやかだし新鮮な野菜もあるよ。
私も今から買いに行くところさ」
そういいながらかごを持ち直してみせた。
もうここはこの話につきあうしかないのだろうか。
それにその市場とやらにいけば、撮影衣装じゃない普通の格好をした
スタッフとかもいるはずだ。
その人に聞けばいい。
僕は返事をすると老婆の斜め後ろをついて歩きだした。
無言のまま3分くらい歩いただろうか
徐々に賑わいを見せ始め
やがて市場の中へとたどり着いた。
わぁ…
思わず声を漏らしてその景色を眺めた。
白い布を屋根代わりにし
たくさんのテントを張った店が道の両端にずらりと並ぶ。
良く見るとみたことのない野菜や食べ物、小物などでいっぱいだ。
それにかなりの賑わいだ。
みな先ほどの女性たちや老婆のような民族衣装のようなものをまとっている。
しかし…どれだけ探してもスタッフらしき人は見当たらない。
撮影中のところに入り込んでしまったのだろうか?
上から撮ってたりするかな?と見上げるがカメラらしきものは見当たらなかった。
「おーい、そこの旅のお方。安くしとくよ、どうだい?」
テントで果物を売っていた男が足を止めてたっている僕に声を掛けた。
そういえばもう何時間も何も食べていない。
そのテントの前にいくと商品を眺めてみる。
やはりどれも見慣れないものばかりである。
ピンク色したりんごのような物や
青いぶどうの粒のようなものががリング状につながった物など…。
これ全部作り物なんだろうか?
それに売ってくれるというのだからお土産に一ついいかもしれない。
ためしに赤いきゅうりみたいなものを手に取る
「これいくら?」
「100キラリだよ」
「え?ああ…100円ね」
値段も手ごろだ。
かばんから財布を取り出し100円玉を取り出すと商人に差し出した。
「なんだい、これ?」
不思議そうに100円玉を手に取るといろいろな角度から覗き込むように見る。
なんだいって聞かれてもただの100円玉である。
「100円ですけど」
そのままに答える。
「旅のお方~、どちらからいらしたのかは知らんがここではキラリって言う、こういう
硬貨じゃないと買い物はできないですぜ?」
そういって取り出したのは
ガラスでできた美しい硬貨だった。
大きさは100円玉より気持小さいだろうか。
ブルーの透き通った美しい、おはじきのように見えた。
「え…あの…僕お金これしか持ってないんですけど」
「じゃあだめだよ。悪いけど他をあたってくれ」
そういいながら僕が手にしていた赤いきゅうりを奪い取ると
大事そうに布で磨き商品の山のなかへ戻した。
……そんな…。
僕が呆然と立ち尽くしていると
そこに立ってると仕事の邪魔だよ!と手で追い払われた。
仕方がなく僕は人の流れに沿って歩いてみた。
様子を見ていると本当に買い物をしているようにしか見えない。
これが映画の撮影なんだろうか?
お腹すいた…。
市場の中では肉や魚のようなものも売っていて
おいしそうなにおいが漂ってくる。
それに、なんだかもう疲れたよ…。
少し広い広場に出た。
時計塔がある広場だ。
広場の中央にシンボルのように大きな木が一本立っていた。
その根元にどっかりと腰を下ろし木に寄りかかった。
はぁ…疲れた。
やっとのことで日がかげり始め空が茜色に染まりかけていた。
今何時なんだろう。
そうだ、時計!
塔の上を見上げた。
……え?
眉間にしわを寄せる。
時計は確かにあった。
数字は振っていないがその代わりに模様のようなものが飾ってある。
念のため数えてみるがちゃんと12個ある。
しかし…針がないのだ。
短針も長身も、当然秒針もない。
なんだ!壊れてるのか!!
もう…今日は本当にがっかりすることばかりだ!
がっかりした気持ちと同じようにもう一度乱暴に木の根っこに座り込んだ。
少し寒い。
かばんから土まみれのスーツを出すとそれを着込んだ。
と…
これは!!
教科書や筆記用具にまぎれて水筒が埋もれているのを見つけた。
そうだ!羽鳥翼がくれた水筒!!
乱暴に取り出すと水筒のふたを開けた。
かすかにりんごのような香りがふわりと漂う。
一口飲んでみる。
どうやらカモミールティーのようだ。
まだかすかに温かい。
久しぶりの液体は喉をしみるように潤して通り過ぎ、胃袋を暖めた。
おいしい…。
思わず泣きそうになった。
紅茶がこんなにおいしいものだったなんて…。
もう一口くちをつけようとしたところで
「おにいちゃん!」と声を掛けられた。
顔を上げると手に持ったかごいっぱいに先ほどテントでみたのと同じ
ピンク色をしたりんごのようなものを詰めて黄緑色の頭巾をかぶった女の子が立っていた。
瞳の色が恐ろしいほどに黒かった。
「おいしそうね。なに飲んでるの?」
顔はかわいいが表情が冷たい。
そこに笑顔はなく何故だろう、一瞬弟の明人と重なって見えた。
「カモミールティーだよ。」
「カモ…?なにそれ、聞いたことない」
女の子は小首をかしげて不思議そうな顔をする。
やっぱりどことなく弟と重なる何かがあった。
思わず僕は水筒を女の子に差し出して見せた。
「飲む?」
すると一瞬ためらうそぶりを見せたが
りんごいっぱいのかごを足元に置くと女の子は両手で水筒を受取り
くちをつけた。
「……!!なにこれ!!」
突然女の子が声を上げた。
しかし何故だろ…この子の言葉は少し音量が低く少し聞こえ辛い。
肺活量が弱いのだろうか。
「すごい!!すごくおいしいけれどこの香りはなに?
薬湯(くすりゆ)かなにか?」
「え?薬湯?
ああ…でも一応ハーブティーだから何かしら効能あるのかな?
リラックス効果とかかな?」
「リラックス?すごいね。お兄ちゃん医術者なの?」
「へ?」
「すごいよ…いつも病気のときに飲む薬湯なんかより全然おいしいよ!!
まるで果物の汁を飲んでるみたいだわ!!」
「ふふ…そこまで喜んでくれるとは思わなかったよ」
お茶一杯でここまで感動する子供がいるだろうか?
その子がどうしても明人と重なって見えて愛おしく思えた。
「ねぇ、ここってなんていう名前の町かな?」
女の子に聞いてみることにした。
女の子は答える。
「ここはディフテッソスよ」
「はい?」
思わず聞き返さずにはいられなかった。
「ディフテッソス。おにいちゃん見慣れない服だけどどこから来たの?」
小首をかしげて見せる。
どこから答えればいいのだろう…
「金倉市って知ってる?」
「カナクラッシ?ってどこ?」
「金倉しらない?鶴岡八幡宮とか由比ガ浜とか大仏とか有名でしょ?」
「ええ?知らないなぁ。それ何?神様の名前?」
「大仏は…神様?いやあれは仏様?」
思わず口の中でぶつぶつとつぶやいてしまう。
この子じゃ幼すぎてわからないのだろうか。
「ねぇ、お父さんかお母さんは近くにいないの?」
大人に聞いたほうが話が早そうだ。
すると突然女の子の表情が曇る。
何かまずいことを聞いてしまっただろうか。
「いないの…。二人とも死んじゃったから」
しまった!
一番聞いてはいけない質問をしてしまったようだ。
黙り込んでみるみるうちに女の子の表情は沈んでいく。
「ご…ごめん!あ…えと、お茶良かったらもっと飲んで良いよ!」
「本当?!」
女の子は喜んでもう一度水筒に口を付けた。
両親がいないわりに身なりはきちんとしている。
僕のスーツの汚れの方がひどいもんだ。
女の子がお茶を飲んでいる間
市場のほうを眺めていた。
相変わらず賑わっていて
空が暮れてきたので商品を照らそうと
ランタンで明かりを付け出したテントもちらほらとある。
そこで面白いものを一つ見つけて目が留まった。
ピエロのような奇抜な格好をした道化師が芸をやっているのだ。
片手に不思議なぼんやりと光る玉があり、
もう片方の手に持ち替えたかと思うとそれを宙に浮かせて見せたのだ。
と思った次の瞬間、玉が二つに増え周りの観客らから歓声と拍手があがった。
すごいなぁ…。
光る玉はみるみると増え、どれも宙をふわふわと浮きながら漂っている。
一体どんな仕掛けになっているのだろう。
玉と玉同士が光の線で結ばれて何かの形を現した。
なんの形かはわからなかったが、形がそこで止まると観客たちはさらに声をあげて
その芸を喜んだ。
道化師がお辞儀をし、どうやら芸はこれで終わりのようだ。
客らが道化師の足元においてある箱の中にコインを投げ入れていた。
「お兄ちゃん、ご馳走さま」
そういって水筒のお茶を飲み干した女の子がそれを差し出した。
「あ…どういたしまして」
と言った次の瞬間、心の中で叫んだ。
あ!!
全部飲まれちゃった!!
今になって焦る。
食べ物も買えず唯一の飲み物だったのに…。
だが焦っても後の祭りである。
ん?まてよ?!
もしかしたら僕でも出来るんじゃないだろうか?
道化師は片づけを済ませると市場の中へと姿をけしていた。
ここはだめもとでやってみるしか!!
僕が何も言わずにいると女の子が
不思議そうに顔を覗き込んだ。
「どうしたの?」
「うん。いい案が浮かんだんだ!」
「案?」
「そう!!」
そう言うと僕は早速座り込むと
木の脇に立てかけておいたバイオリンケースを引っ張り出し
中からバイオリンを出した。
「うわぁ…綺麗!」
女の子の歓声があがる。
「それは何?」
「これはバイオリンっていう楽器だよ」
肩当てをバイオリンにはめ、弦を軽く指ではじいて調弦をする。
大丈夫、音は狂ってないみたいだ。
すっくと立ち上がりバイオリンを構えた。
すると、その異変に気がつく。
いつの間にか左手の小指に指輪がはめられていたのだ。
何だこれ?
もちろん自分ではめた覚えはない。
いつの間にこんなものが…。
指輪に小さな紫色の石がくっついている。
アメジストのようだ。
演奏に邪魔かもと一度バイオリンを地面にそっと置くと
指輪を抜こうとしたのだが…
あれ…抜けない。
しっかりと指に食い込んでしまっていてびくともしないのだ。
なんなんだ、これ…。
仕方がない、これは後回しだ。
気を取り直しもう一度バイオリンを構える。
「何するの?」
「いまからね、綺麗な音楽を聴かせてあげるよ」
女の子に慣れないウィンクをしてみた。
-------------------