第十四章【最終章】:ステンドグラスの幻想

第十四章:ステンドグラスの幻想
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雨が降っていた。
もうすぐで夜が明けるというのに昨日の夕方から降り始めた雨は
まだ降り続けていて一向に止む気配がない。
今日も一日雨だろうか。

射川明人は窓辺にもたれかかり依然として薄暗いままの町並みを
ぼんやりと眺めていた。

二階の自室の窓からは玄関に続くポーチの小道が見える。
脇には母が趣味で植えた色とりどりの花が咲いている。

室内の壁掛け時計に目をやると時刻は3時を回るところだった。

もうすぐで新聞屋が来る時間だ。


幾夜を飛び越えたら夜が明けるのだろうか。

何度目かも忘れてしまったほどの今日一日で何十回目かの長いため息をついてみせる。

右手にカッターナイフを握り締めた。

いつになったらこの悪夢は終わるのだろう。

そして、僕はその呪文を何百回唱えただろう。

疲れてしまった。

これほど待ちわびても何も訪れない。
一筋の光さえ僕の目の前に降り立つことも叶わず
ただただため息をつく日々が続いた。
希望を望むこと自体が愚かなのだろうか。

ほんの一筋、
一欠けらでもかまわない。

かまわないから、
何か真実につながる手がかりがつかめたのなら
どんなに嬉しいだろうか。

だがしかし…

それを待ち続け、既に2年の時が過ぎていた。

2年目の季節を通り過ぎ
もうじきで小学生最後の夏休みを迎えようとしている。

もう季節は夏だというのに今日は異様に冷える。
カーディガンを羽織っていないと肌寒いほどだ。

雨は一向に止む気配を見せない。
それどころか降りが少し強くなってきたようだ。

いつまでたっても報われない自分に感じる絶望感と
どこへもぶつけようのない忌々しさを感じていた。

不安で不安で仕方がなくて
現実に押しつぶされそうで
悲しくてもどかしくて、でもどうしようもなくて…。

気がつくと心の居場所を見失っていた。

ただ、一つだけ。

自分が生きているという、ただ一つだけの証を証明することができたのは…、
このカッターナイフの刃だけ…。

左手手首にそれをぐっと押し当てた。

と、玄関のポーチが開く音がして手を止める。

新聞屋だろうか。
今日はいつもより少し早い気がする。

窓から外を覗き込み思わず息が止まりそうになる。

暗くてよく見えないが、なにか黒い人影がポーチから玄関に続く小道を
ゆっくりと歩いていくのが見えたのだ。

誰?

手に持っていたカッターナイフが手からこぼれカーペットをワンバウンドして落ちる。

父さん?
いや今日は宿直だと言っていたからこんな時間に戻ってくるわけがない。

じゃあ…?

…だ、れ?

気がつくと部屋を飛び出していた。
足がもつれて途中転びそうになったところをなんとか立て直す。

雨にぬれて灰色に染まった家の中を走りぬけ
階段を駆け下りる。

階段の踊り場をぐるりと回り
さらに玄関に真っ直ぐのびる階段を駆け下りたところで足を止める。

やがて玄関のドア脇にあるステンドグラスの長方形の窓に人影が映りこんだ。

だ…れ…?

息が苦しい。
激しい心臓の音が耳にまで届いた。

間違いない。
だれかが玄関の外にいる。

だれ?

チャイムが鳴らされる気配はなく、
その人影はずっとドアの前で立ち尽くしている。

だれ?


体が震えるのが解ったが
裸足のまま玄関をそっとおりてカチャンと音を立てて鍵を開ける。

その音が恐ろしいほどに玄関に響いて一瞬どきりと心臓がなった。

そっとドアノブに手を掛ける。

だれ?


ゆっくりとドアを押し開けた。

黒い影がドアの隙間から現れる。

だれ?

その人物は思った以上に身長があり、僕は顔を斜め上に上げて
その人物を見上げた。

外の外灯の明かりがその人物の顔をほのかに後ろから照らしている。

「……だ…れ?」
声が震えている。

半分まで開かれた扉の向こう側にたつ人物は
外側のドアノブに手を掛けると
僕の代わりにさらにドアを開いて見せた。

すらっと伸びた背、
傘も差さずに歩いてきたのだろうか、
半そでの白いワイシャツはずぶぬれで、ズボンも足元が濡れていた。

顔に掛かる前髪から雨のしずくがぽたぽたと落ちてゆく。

「ただいま」

聞き覚えのない声が斜め上から響いた。

だが、解る。

誰なのか、僕には、わかる。
この声は…。

僕が知っている声よりも少し低いが…、
でも間違いない。

この声は!!


「お…兄…ちゃん?」
恐る恐る震える声で問う。

ニコリと笑ったその表情に
階段の踊り場のステンドグラスの光が差し込んだ。

まぎれもなく、そこには僕の兄が立っていた。

「お兄ちゃん!!」

次の瞬間僕は兄に抱きついていた。

兄の体は雨に濡れたせいで体が冷たい。

でも…
なんだろう…この安堵感。

体が急に温かくなるのが解った。

もう一度先ほどの声が降ってくる。

「ただいま、明人。」

嬉しくて声を上げて泣いた。

これは夢だろうか?

これは夢なんだろうか?

ああ…なんでもいい…。

夢でもなんでもかまわない。

それでもいい。

それでもいいから…。

ゆっくりと顔を上げて夢の続きを確かめた。

そこにはとても懐かしい顔があった。

優しく微笑んでいる。
僕の知っている、
あの兄の顔だ。

兄の微笑みだ。

涙で視界がにじむが間違いない。

まぎれもなく、お兄ちゃんだ!!


ただ、
ステンドグラスの光の加減だろうか。

一瞬、兄の瞳の色が紫色に光って見えたような気がした。





―射手座編終わり―

蠍座編に続く
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