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暗闇の中、人が立っていた。
暗くて顔がはっきり見えない。
男なのか女なのかもよくわからない。
僕に背を向け、何かをつぶやいている。
なんと言っているのかは聞き取れない。
と、次の瞬間いきなりこちらに向き返る。
心臓が止まりそうになる。
そこには僕が立っていたからだ。
表情は冷たく、いたずらっぽく笑っているがその目は憎しみと悪意に満ちているような
血走った瞳であった。
手に何か持っている。
それが鎌だと気づいた時にはすでに遅く
僕に向かって振り下ろされた後だった。
真っ暗な世界が突如、鮮血で真っ赤に染まり
僕は悲鳴を上げていた。
「わぁーっっっっ!!!!」
思わず飛び起きる。
気がつくといつもの天井がそこにはあった。
僕の部屋だ。
それを認識するのに数秒の時間が必要だった。
カーテンの隙間からもれる淡い光に包まれた薄みどり色の光の点描がきらきらと揺れている。
ああ…また同じ夢を見ていたのか。
まだ心臓がどきどき早い速度で脈打ち息も少し荒い。
射川竹人(いかわ たけと)はゆっくりとベットから上半身を起こすと、まだ鳴らぬ目覚まし時計に目をやった。
時刻は午前6時を回ろうとしている。
目覚まし時計のセットを解除すると両手を天井に向けてひっぱり思い切り伸びをした。
軽く汗をかいていることに気がつく。
「またか…」
わざとらしく声を上げてみる。
カーテンを乱暴に開けると
まぶしい光が一気に部屋を白く包み込み、思わず目を細める。
窓に切り取られた5月の新緑の木々の景色は新しい朝の訪れを知らせていた。
時折かすかにそよぐ風に太陽の光を受けた木々の葉がキラキラと舞い
淡い水彩画のような優しさを描いていた。
そんな清清しい光景とは裏腹に、
心は妙にどんよりと灰色に曇っていた。
ため息を一つつく。
最近妙な夢ばかりみている。
意識的に疲れを感じているつもりはないが、それでも無意識に疲れているのだろうか。
パジャマを脱ぎ捨てると
まだ真新しさが残る黄緑と白のストライプ柄のワイシャツに袖を通す。
やっと慣れ始めた中学校生活。
友達もできたし勉強や部活なども充実している、はずだ。
姿見を見ながら真っ白いスーツの第一ボタンを留めると、
なんとなく鏡の自分に、すこしだけ強く微笑みながらグリーンのネクタイを締めた。
僕が通う私立満点星(どうだん)学園は幼稚舎から大学院までで成る巨大な学園だ。
中等部と高等部の真っ白いブレザーの制服は地元では白鷺と呼ばれている。
とにかく敷地が広い。
その敷地内のあちこちに雑木林が点在し森の中に学校があるといっても過言ではないかもしれない。
そんな学園に通い始めて早2ヶ月が過ぎようとしていた。
かばんとバイオリンケースを持つと部屋のドアノブに手を掛けた、と
廊下に出た瞬間ほぼ同時に部屋から弟の明人(あきと)がひょっこりと姿を現した。
僕に気がつくと無邪気な笑みを作ってみせる。
「あ、お兄ちゃんおはよう」
僕の前まで来るとさらに笑顔を光らせながら挨拶してきた。
「おはよう」
それに答えながら明人の髪をぼさぼさと撫で回す。
さらに嬉しそうな表情をつくる明人。
「今日は顔色いいなぁ。ちゃんと眠れた?」
いつも弟の頭をなでながら体調を聞くのが僕の日課になっていた。
「うん。最近調子いいんだ。お兄ちゃんは今日はバイオリンのレッスン?」
僕の肩に掛かったバイオリンケースを見る。
階段の踊場にある薔薇模様のステンドグラスの光が弟を包み込み、
一瞬弟がアンティーク人形のように美しく見えた。
明人は僕の3つ下の弟。
体が弱く学校を休みがちで友達もあまりおらず仕事をしている両親に代わって僕が
兄、兼友達、兼親のような、そんな存在になっている。
小さいころ僕に続いてバイオリンを習おうとしたのだが体への負担が
思いのほか大きく、なるべく息が切れず座ってできるピアノにチェンジしたのだ。
ちなみにピアノ講師はうちの母親である。
自宅で教室を開く傍ら明人に他の生徒と同じように基礎からしっかりと教えてくれている。
そんなこんなで最近の明人の夢は僕のバイオリンの伴奏をすることらしい。
「そ。お兄ちゃん頑張ってるからアキもピアノ頑張れよ?」
“アキ”というのが弟の愛称である。
もう一度弟の頭をくしゃくしゃとなでると先にしたに降りてるよと言いながら
階段を降りた。
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