第九章:消えゆくもの3

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結局あれからイネ=ノが戻ってくることはなかった。
僕は用意されたパジャマに着替えると大きすぎるベッドの真ん中に
転がっていた。

なぜか今夜は寝付けない。

キク=カのことが気になってしまうのだ。

それはやはりキク=カが弟と瓜二つだったからだろうか?

キク=カはこれからどうなってしまうのだろう。
アキレスの言ったとおり植物状態に?

思わずぞっとして息を飲む。

まるで自分の弟がそうなってしまうかのような錯覚を
どうしても捨てきれない。

だってそうだろ…
双子…いや、あまりに似すぎていて本当は同一人物なのでは?と
疑いたくなるほどなのだ。

村で会った少女やメグサのお母さんのようにバイオリンでなんとか
治してあげられたらよかったのに…
結局なんの効果もなかった。
それどころか僕自身がキク=カの目の前であんな混乱した姿を
見せてしまって…申し訳ないどころでは済まされない…。

イネ=ノはなんとかして少しでもキク=カの心の崩壊を止めようとしているらしいが…

もしかすると夕食のとき席をはずしたのはキク=カに何かあったから?

ほかにどれだけの患者を抱えているかも解らないし
憶測でしかないけれど、でも…。

心の中で僕は静かに混乱していた。

本当にこの世界に来てからわからない事だらけだ。
そもそも何故僕はここにいるのだろう。

この世界に来てからの一番最初の問いを掘り起こしてみる。

“何故自分はここにいるのか”

どこかで頭を打って大いなる夢を見ているだけという落ちも、
もしかしたらあるのかもしれない。
ただ、それにしてはリアルすぎる。
風や紅茶、食事の香り、味、走ったり転んだりしたときの感覚は
生々しく体に伝わってきている。

夢落ちという選択肢はもうはずしても良いだろう。

では何故、訳もなくこんなところへ来てしまったのだろうか。
この指輪はなんなんだろう。

神様である証のこの石のついた、イネ=ノとおそろいの指輪。

そして僕はそのイネ=ノと瓜二つ…。

たまたま偶然に訪れた、というよりも意図的に僕はここに連れてこられた、
そう考えたほうがはるかに自然のような気がする。

その具体的理由はわからないが、少なくとも
僕がもといた世界と、このイネ=ノの世界を繋げたものがいる。

僕はずっと気になっていたが先延ばしにしていた問題を頭の奥から引っ張り出した。

僕がもといた世界での記憶は学園の石像の前で途切れている。
そう、半馬人の石像だ。
あまりにも偶然過ぎる。
あそこがパラレルワールドへの入り口だったんだ。
とすると、あそこへ導いたのは紅茶をくれた白人、羽鳥翼だ。
そうだ、あの人だ…。
考えてみれば不自然な事だらけじゃないか…。

そういえば「また会おう」って言ってたような気が…。

そうだ、たしかに言った。
間違いない。

ベッドからはいだし僕は裸足のままベランダに飛び出していた。

静寂を引き裂くように僕は叫んだ。

「羽鳥翼!!どこかで僕をみてるんじゃないのか?!
だったらここから出してよ!!
あなたが僕をここへ連れてきたんでしょ!!」

しかし満天の星空は静かに瞬きながら輝くばかりで
何の変化も起きなかった。

「ねぇってば!!」

いきなり冷たい空気を多量に吸ったからだろうか。
少し肺が痛んだ。

「それは誰だい?」
突然背後で声がして思わず飛び上がりそうになった。

まさか!
羽鳥翼?!

とっさに後ろを振り向く。

「こんな夜更けに外に出て…風邪を引くよ?」
その言葉に僕は思わずため息を付いてしまった。

「イネ=ノ…おかえり」
「ああ…それより、どうしたんだい?」
イネ=ノが不思議そうな表情を作っている。
夜中に一人ベランダで大声を出していたら誰だっていろいろな意味で心配するだろう。

「…大丈夫だよ。…ただ少し疲れてるみたいで…興奮して眠れないんだ」

「なるほど。じゃあ、リラックスできる温かい飲み物でも入れてあげようか?」

イネ=ノがアキレスを呼ぼうとする仕草をしたので僕は慌ててそれを止めた。
「待って…その…それよりイネ=ノ、君とゆっくり話がしたいんだけど」
そっとイネ=ノの腕を軽くつかんで見せる。

少し黙った後イネ=ノはゆっくりと分かったといって頷いて見せた。


二人して庭にでる。
もちろん今度はちゃんと靴を履いて。

満天の星空が照明代わりになっていて
屋外も意外と明るい。
ランプの光も星に数えられるくらい、天井の星の光も強い光度を持っていた。

庭の中に小さな小川が流れていて
きらきらと光の道を作っている。

イネ=ノから借りたコートを肩に引っ掛け
二人してゆっくりその川に沿って歩いた。

やがてガラスのベンチが現われたので
そこに二人腰を下ろし天井の星空を見上げた。
天の川のようなものも見えるが全体的に星が空いっぱいに広がっていて
今にも星が零れ落ちてきそうなほど美しかった。
少し風が冷たい。
「竹人の世界でも星はこんな風に輝いているのかい?」

見るとイネ=ノはなんとも切なそうな横顔で星空を仰いでいた。

「うん。ここまで綺麗じゃないけど、僕の住んでいるところでも
明るい星なら見えるよ。オリオン座とか」

「え?」
イネ=ノが聞き返す。

「オリオン座って…こっちにもあるのかな?
すごく綺麗な形をした星座で…」
と、突然両肩をつかまれる。
気がつくとイネ=ノの真っ直ぐな瞳が僕のすぐ目の前にあった。
アメジストの宝石のように美しい紫色の瞳の中に僕の驚いた表情が映っている。

「………え…」
思わず固まってしまう。
「竹人、…君は…」

イネ=ノは言う。

「君は一体何者なんだ?」


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