第十一章:凍てついた寝室2

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中は雪で出来たかまくらのように真っ白な世界に包まれていた。
あまりにその白さがまぶしくて思わず目を細める。

少しずつ目が慣れてくるとやっとのことで部屋の全体を把握する。
とても殺風景な部屋で、壁や天井や床は全て白で統一され人工的な光に包まれていた。
円形の部屋の中央にやはり円形の寝台があって、そこに真っ白いドレスを着た女性が横たわっていた。
布団は掛かっていない。
まるでガラスの棺に横たわった人形のようにも見えた。
イネ=ノの後ろを歩きながらその寝台に近づいてゆく。
そこではっと息を飲んだ。

体が真っ白なのだ。
ただの色白ではない。
石膏のように白い。色素のない銀髪の長い髪が伸び、ぴくりとも動かない人形のように眠った
美しい少女が横たわっていた。
唇も肌の色と同様真っ白だ。

これは…石膏でできた人形?!
思わずそう聞きたくなるところをぐっとこらえた。

「おはよう、アスティーヤ。よく眠れたかい?」
イネ=ノがそっとアスティーヤの白い耳元で囁いたがしかし反応はない。
心配になって思わずイネ=ノの顔を見る。
大丈夫だよ、と言う表情を作ってイネ=ノは両手の平をうえにし、軽くおわんを作るような形を作ると
そこからふわりと光が生まれた。
「今日は蠍座から綺麗な花を持ってきたんだ。とても香りの良い花だよ。
気に入ってくれると良いんだけど」
手のひらからふわりと花びらが溢れ出た。
桜色の美しく大きな花びらだ。
次の瞬間竹人のところまでその甘い香りが漂ってくる。
香りが薔薇に似ている。
母親が使っていたシャンプーととてもよく似ている。
花びらはつぎつぎとイネ=ノの手から溢れ出ると
まるで自らの意思を持ったみたいに蝶のようにひらりひらりと宙を舞いやがて
眠るアスティーヤの胸元に落ちていった。

むせ返るような優雅な薔薇の香りが部屋いっぱいに広がっていく。

『おはよう、イネ=ノ。いい香りね。有難う。』
突然天井から声が聞こえたような気がした。

あ…この感覚…
キク=カと同じだ。

キク=カも口を動かして直接は話していなかった。
なんだろう…テレパシーとでもいうんだろうか…。

しかしこの声…。
思わず心臓がどきんとなる。

声が秋桜ちゃんそっくりだったからだ。

「昨日少しだけ話しただろう。不思議な楽器で美しい音色を奏でてくれるお客様を
お連れしたよ。さぁ、竹人。」
そう言って横たわるアスティーヤの傍まで案内された。

…昨日?

「あの…はじめまして、射川竹人です。」
『イカワタケト…素敵なお名前ね
イネ=ノからお話は伺っています。異世界からいらしたの?』
「はい…。地球という星の日本という国からきました…」
思わず緊張して声が上ずる。

近くで見るとやはり石膏で出来た像のように見えてしまう。
それか、もしくは真っ白いフランス人形のようだ。
白く長いまつ毛が人形らしさをさらに引き出している。
確かに顔は秋桜ちゃんに似ている。ただここまで肌や髪の色が違うとやはり
違和感が残る。
だが、声は秋桜ちゃんそっくりだ。
それが余計に僕を緊張させてきるのかもしれない。
こんなに長い台詞を秋桜ちゃんの口から直接聞いたことがないから。
「竹人。早速だけど」
そういいながら僕に演奏するように促す。
テーブルも台もないので
床にバイオリンケースを下ろすと早速演奏の準備に取り掛かった。
なんだろう…緊張する。

そういえば秋桜ちゃんの前でバイオリンを弾いた事はない。
秋桜ちゃんがレッスンを受けているときに自分の部屋で練習した事は何度かあったけれど…。
だからひそかに夢がある。
秋桜ちゃんのピアノ伴奏で僕がバイオリンを演奏。

思わずとろんとにやけていることに気がつき慌てて咳払いをしてそれを追い払う。

バイオリンを肩に構えた。

「じゃあ…はじめます。」
すっと弓を構え息を吸った。

今この寝室に、庭に、宮殿に、そしてこの少女に必要なもの、
訪れてほしいものは何かと考えた。

そう、春だ。

最初ベートーヴェンのバイオリンソナタ「春」にしようかと思ったが
無伴奏ではちょっと僕の技術じゃカバーしきれないところがある。
では、ほかに春と言って思いつく曲といえば?
誰でも一度は耳にしたことがある
ヴィヴァルディの協奏曲集“四季”の「春」だ。

弓を弦に引っ掛け演奏を始めた。

華やかに春の喜びをうたい小鳥たちはさえずる。
花は咲き誇り春の柔らかな優しい光が世界を包み込む。

明るい春は寒い冬で凍てついた人の心をも優しく照らし出す。

一緒に、春を喜ぼう。

ほら、
綺麗な花が咲いてる。

小鳥たちが歌ってる。
この音色、
この響き、
この春の音色が、
君には聞こえるだろうか?

春は暖かく優しい。
けれど、
その春を迎えるために必要なものもある。

やがて空が曇りはじめ風が生まれれる。
世界は灰色に包まれ一面重たく厚い雲に覆われる。
そして雷が鳴り響く。
春雷だ。
雨と雷が入り混じり世界は一変する。

けれど、
その雲が流れ去った後の美しい景色を君は知っているかい?

美しい虹が潤った大地に掛かる。

ここだよ。
春はここにいるよ。

虹の向こう。

この虹を超えたすぐ向こう側で春が待ってる。

君と一緒に歌いたい。

春を、一緒に歌わないかい?

君の瞳の色を知りたいんだ。

君が微笑んでくれるのなら、
僕はそれ以外に何も望まない。

どうか、
どうかこっちを振り向いてほしい。

君の声を聞きたいんだ。

君の歌を聞きたい。

君の瞳を見つめてみたい。

どうか…。

願いをバイオリンの旋律に託した。

春は3楽章から成る。
少し曲調の暗い第二楽章を飛ばし第一楽章と第三楽章を演奏。

続いて秋も第二楽章を飛ばして演奏した。

いずれも華やかな曲だ。

彩り鮮やかな優しく暖かい、けれど
これから暖かくなる春、旬の恵みを向かえ冬に向かう秋の暖かさは違う。

どちらでもお好みの色を君にあげよう。

さぁ、手を出して。

この音色が見えるかい?


華やかな曲を弾き終わった後、なぜか胸が熱くなっていた。
なんだろう。
春と秋の色が胸の中に飛び込んできたような、そんな暖かく優しい気持になれる感覚だ。

「アスティーヤ!!」
イネ=ノが叫んだ。

見るとアスティーヤの目からぽろぽろと涙がこぼれている。
これはメグサのお母さんのときと同じ?!優しい記憶が零れ落ちてしまっているというのか?!
何故?!
メグサのお母さんはバイオリンの音色を聞いて涙が止まったのに
何故逆に涙が流れるんだ。
思わず慌ててベッドの脇に駆け寄り様子を見張った。
「アスティーヤ、どうした?」
切なそうに彼女の耳元でイネ=ノが問う。
しかし返事はない。
ただぽろぽろと、とめどなく涙は零れ落ちシーツがぐっしょりと濡れだした。
タオルか何かを?!と思わずあたりを見回すがそのようなものはない。
気休めにしかすぎないけど、とバイオリンケースからバイオリンを拭くときに使う布を取り出すと
枕元にそっと置いた。
そこで涙が氷水のようにつめたい事に気がつく。

「……あ……」
思わず声が漏れる。

ただただ白でしかなかった肌が急にほんのりと
紅さを取り戻し始めたのだ。

「…奇跡だ…」
イネ=ノがつぶやく。
顔色は白から肌の色へとふんわりと移り変わり
ただただ石像のようにつめたい色をしていた細い腕や指先にもその色が及ぶ。
部屋に外からの風が吹き込むと枕元に散らしてあった薔薇の花びらが一斉に
ふわりと香った。
そして、
アスティーヤの瞼がそっと開く。

「アスティーヤ!」
イネ=ノがそっとアスティーヤの肩に手を置く。

涙でキラキラとガラス玉のように輝く瞳が見えた。
ブルーの…南の島の青い海のように透き通った深いブルーの瞳だった。
ずっと見ていると思わずその美しさに吸い込まれそうになる。

やがて血色を取り戻した桜色の唇がそっと震えた。

「有難う、竹人」
女神が優しく微笑んだ。

突然その言葉に僕の瞳から大量の涙がブワッと溢れ出した。
鼻の奥がツンと痛く、息ができない。

体が小刻みに震える。
鳥肌が一気にたつのが解った。

なんだ!?
なんだこれ?!

解らない。

体が熱い。
すごく…
燃えるみたいに熱く心臓がドクドクと脈打ち…息もできないし…なんなんだこの感覚…!!

一瞬目の前が真っ暗になったところでイネ=ノに体を支えられる。

「大丈夫かい?」

「ごめ…なんか…体が…」

「そうか…わかった。君は…」

そこでイネ=ノの言葉が途切れた。

いやイネ=ノが言葉を切ったんじゃない。
途切れたのは僕の意識のほうだった。


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