第十二章:もう一つの答え2

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「…え?」
思わず聞き返す。
依然イネ=ノの表情は硬く僕を冷たく見据えている。
僕が…なんだって?
イネ=ノの言った事が今一理解できず返事に困った。

「君は自覚してないんだろうな。まぁ無理もないとは思う。
だがその指輪が全てを物語っているんだ。もっと早くに気づくべきだった。」

「ちょっとまって、ごめん。どういう事なのかよくわからないんだけど…」
両手の平をばたばたとさせてさらに言葉を続けようとするイネ=ノを制して言った。
「だって射手座守護神はイネ=ノだろ?
同じ名前の神様が二人も存在するなんておかしくない?」
「そうだね…少しゆっくり落ち着いて話そうか。」
小さくため息をつきながら先ほどアキレスが座っていた椅子に
今度はイネ=ノがそっと腰を下ろした。

茜色の空をバックにどことなく冷たいイネ=ノの横顔がある。
僕と瓜二つの人物の横顔…。自分の横顔でもあるのか…。
自分の横顔を見ることなんてなかなかないからなんとも新鮮な気分だ。
だが、僕にはイネ=ノのような気品は持ち合わせてない。
同じ顔なのに、立ち振る舞いでこうも人は変わるんだ…。

「君はこことは違う別の世界から来たと言ったよね。」
「え?…うん。」
「つまりこういう事だよ。別次元に君の世界があって、そこでは僕らのような同じ顔をした
君やもう一人のアキレスやアスティーヤが存在している。そして君はその指輪をしている。
わかるかい?」
「え?」
間抜けっぽく何も考えないまま言葉を出してしまった事を後悔する。
「君の世界にも守護神が存在するという事なんじゃないのかな?
だからつまり、君の世界での射手座守護神が君って事さ。
他にも別の星座の守護神が存在していると思う。」
「……ちょ…っと待って。
僕の世界では“射手座守護神”って言葉は存在しないし、バイオリン一つで難病を治せるような
奇跡もありえないのに?」
「そう。それに存在しないんじゃない。現に今存在しているじゃないか。
それに奇跡だって起こした。
確実に君は君の世界での僕、つまり守護神のポジションにあるってことなんだよ。」
…といわれても…信じがたい。

おそらく元の世界に戻ったらバイオリンの奇跡だって起こせないし
指輪も消えてしまうかもしれない。
もしかしたらイネ=ノたちと過ごした記憶ですら…夢だったという事になってしまうかもしれない。

「君をこの世界に案内した人がいるって言っていたね。
もしかしたらその人も何かしらの星座守護神なのかもしれない。
だから明日帰ったら彼に会って話すといい。
この世界であったこと全てをね。」
「……でも…」
話したところであのさわやかな笑顔で病院に行け、で終わりそうなきもするのだが…。
確かにいきなり学園の中での白人の出現は僕の日常の中では小さな非日常だった。
けれど…それだけだ。
たまたま偶然の出来事だった。
それに僕の世界で誰かがバイオリンで難病を治したなどという話は
いまだかつて一度も聞いたことがない。
音楽療法的な意味合いではありかもしれないが
明らかにメグサのお母さんやアスティーヤのような
身体的病気をメス一本入れず楽器一つで治してしまうなど、
僕の世界ではありえないことだ。
そもそも、この世界と僕の世界を重ねて同等に見ようと言っている時点で無理が生じている。
同じようであってもやはり二つの世界は別物だ。

「なぜそこまでして僕を射手座守護神だと思うの?その理由がよくわからないよ」
「アスティーヤの前で君がバイオリンを弾いただろう。
あの姿をみて僕自身もそれを確信したし、あとはキク=カだよ。
彼が言ったんだ。
君は帰ったらその力を発揮することになるってね。」
言葉が出てこない。
そもそもキク=カの予言の行く末を僕はまだ知らない。
そう、明日僕が帰るというその予言だ。
何かすぐにわかるような小さな予言でも聞いておけばもっと確信が持てたのかもしれないが…。
ただ、つまりそのキク=カの予言が示すものは、
僕が元の世界に帰ってもこのファンタジーは終わらない、という事なのだろうか?

「ねぇ、明日帰る前にキク=カに会える?」
「もちろん。キク=カも一緒に来るからね」
「え?キク=カ、歩けるの?」
「いや、僕が連れて行くよ。本当はあまりよくないんだけどね。
キク=カが一緒に行きたいと言っているものだから…」
「じゃあ…帰る前に少しキク=カと話す事は出来る?」
「ああ」
「良かった。この前は僕が取り乱しちゃってちゃんと会話できなかったから
その事もちゃんと謝りたいし、今の話も詳しく聞きたいんだ。

それに僕が来る事を予言した話とかもいろいろ聞きたい。
キク=カが帰れるって言ってくれても正直不安で不安で仕方がないんだ。
でも…なんだろう…
そう、帰る前にもう一度キク=カに試したいんだ。
僕のバイオリンをキク=カに聴いてもらいたい。
メグサのお母さんやアスティーヤに効いたんだ。
アスティーヤにだよ?何百年も病気で伏せていたのが
バイオリン弾いただけで治っちゃったんだ!
だったらキク=カにだって多少なりと効いてくれたっておかしくないじゃないか。
このままじゃ僕は帰れないよ。
もしこのまま帰ったら僕は一生後悔するかもしれない。
それに…、」
「竹人」
イネ=ノが僕の背中にそっと手を当てた。
「少し落ち着いて」
そう言われて自分の息が上がっていることに気がつく。
どうもだめだ。
ここ最近少し疲れているのかもしれない。
呼吸が苦しい。過呼吸の一歩手前といったところだろうか。
「悪かった、君の体調がもう少し落ち着いてから話すべきだった。
寝室へ戻ろう」
そういいながら立ち上がるとそっと僕に手を差し出した。
確かに気分が良くなかった。
息が苦しいし思考判断がどことなく鈍る。
イネ=ノに従ったほうがよさそうだ。
ゆっくりとイネ=ノの手を取る。

と、
気がつくと僕はすでに寝室に立っていた。
イネ=ノの例の瞬間移動だ。
「あは、そこまでしてくれなくてもここまでだったら歩けるよ」
そう言う僕をイネ=ノはソファに座らせアキレスを呼んだ。
やがて新しいお茶が運ばれてくる。先ほど庭に出されたのとは違うものだ。
「薬湯だよ。リラックス効果がある。さぁ、飲んで」
透き通った青色のお茶を差し出される。
綺麗だなぁ…。思わずガラスのティーカップの中の飲み物の色に見とれる。
香りはミントのようなすうっとくるような香りだった。
一口カップに口をつけた。
予想通りすっと透き通った味わいだ。
冷たい香りが鼻を抜ける。
呼吸が楽になるのがわかる。
「夕食は食べれそうかい?」
僕の顔を覗き込みながらイネ=ノがいう。
「うん。大丈夫だよ。ありがとう」
「そう。じゃあ…アキレス、用意を。
竹人。僕は少し用事があるので席をはずすよ。夕食後に少し落ち着いたらまたお茶でも飲もう。」
そう言ってイネ=ノは僕の頭をそっとなでると
背を向け姿を消してしまった。
僕に気を使ってくれたのだろうか。
「アキレス」
部屋を出ようとしたアキレスを呼び止める。
「はい、何でございましょう」
ゆっくりと体ごと振り向くとニコリと笑顔を見せる。
「あの…あまり食欲なくて…夕飯いらないよ」
「いえ…そうは行きません。では…なにか果物などを召し上がってみてはいかがでしょう?」
「え?ああ…じゃあ…少しだけ」
アキレスを見送りながら僕はもう一度ティーカップに口をつけた。
考えてみたらキク=カの予言が当たっていればこれがこの世界での最後の夕食になる、はずだ。
だが…どうも食欲がわいてこない。
そうか…これが最後の夜なのか…。
イネ=ノが淹れてくれた薬湯のせいだろうか、少し体が楽になってきたような気がした。
不安で押しつぶされそうになるその心をそれ以上深いところにもぐらないように、この冷たい香りが
食い止めてくれているようだった。
どうもだめだ。
ここに来て色々とあったから心身ともに参ってしまっているようだ
もう一口カップに口をつけたところで上品なノックがし、アキレスが部屋に入ってきた。

「こちらは今朝村で取れたばかりの新鮮な果物です。
それから焼きたてのパンをお持ちしました。残してもかまいません。
食べれるだけどうぞお召し上がりください。」
そう言いながらまたいつものようにたくさんの皿をテーブルいっぱいに並べて見せた。
結局いつもと変わらない量の食事が色とりどりと並ぶ。
「ありがとう。
ねぇ、アキレスも一緒にどう?」
「はい?」
「一人でもくもくと食べるのもなんだか空しいし、ここで夕食頂くの最後になりそうだから」
「…そうですか…では」
トレーを脇に置くと向かいのソファに腰を下ろした。
ティーカップに新しいお茶を継ぎ足してくれた。有難うといってそれに口をつける。
温かい…。
「明日、元の世界に戻られるのですか?」
「うん。本当にいろいろと有難う。
それに短い間だけど一緒に過ごせて楽しかったよ。」
「はい、私もでございます。」
僕がパンをちぎって一口つまむとアキレスもワンテンポ遅れて同じ動作をした。
「アキレスさ、さっきも言ったけどもう最後なんだし僕に気を使うのはやめようよ。
普通にしてるアキレスもみてみたいな。」
「え?」
「もっと肩の力抜いてどっとくつろいでるアキレス、のそっくりさんをいつも見てきたからね。」
「あ~。入間様ですね」
そこで笑いがこみ上げてくる。
「そうそう、そういえば入間がパンをこうやって食べてたんだけど…
なんかこう…食べ方がらくだみたいで笑っちゃったよ!」
「らくだ?」
「こうだよ!」
入間のらくだ食いをまねしてみせる。
次の瞬間アキレスが爆笑する。
「無意識でやってるっていわれても目の前でそれやられるとこっちは笑っちゃうよ。
そのとき牛乳飲んでたんだけど思わず吹きそうになっちゃってさ!!」
ホワイトノイズの音しかしないのではと思っていた部屋に笑い声が響いた。
そうそう。
この顔と向き合うときはいつも笑ってる僕がいた。
気がつくとアキレスと二人で大爆笑。
笑いこけながらなんだかんだでテーブルの食事を平らげてしまっていた。
「アハハハ!腰の抜けたカマキリって…!!」
けらけらとアキレスが笑いながらおなかを抱えてみせる。
「ずいぶんとにぎやかだな。僕も混ぜてくれるかい?」
イネ=ノが部屋に現われた。
「ああ…イネ=ノ様、お帰りなさいませ。」
そういってまだ笑いが残った顔で立ち上がるとアキレスは涙をぬぐって見せた。
「ああ…竹人、少し顔色が良くなったね。良かった良かった。食事もちゃんと摂れたんだ」
空っぽの皿をみてイネ=ノは満足そうに微笑んで見せた。
「アキレスのおかげだよ。ね?」
「ぷ…」
アキレスが思わず噴出す。
入間パワーはすごい。
あんなに堅物だったアキレスを一瞬で笑い上戸にしてしまうのだから。
イネ=ノも安心したように穏やかに微笑むとアキレスの隣に腰を下ろした。
慌ててアキレスは席を立つと空のプレートを片付け、お茶をお持ちしますといって部屋の外に
出て行った。

「竹人はすごいな…アキレスがあんなに笑うところを僕はほとんど見たことがなかったんだよ」
「え?ああ…そうだね…なんかそんな感じわかるよ。
すごく人に忠実だから余計笑っちゃいけないって思ってたのかもしれないね。
でも実はすごい笑い上戸だね!入間の話したらげらげら笑ってたよ。」
「ああ…入間君か。ぜひ僕も会えるものならあってみたいよ。
この前の犬の話は本当に面白かった。正直まだ引きずっているところさ」
「でしょ?!入間の話って後が残るんだよ!別れた後に思わず電車の中で
吹きそうになったことが何度あったことかあるから…」
そこで言葉をきる。
思わず“帰りたいな…”と口にしそうになっていたからだ。
「竹人…そんなに不安かい?」
だめだ…見透かされていた…。
そんなに解りやすい顔をしていただろうか。
でも…正直甘えさせてくれるイネ=ノに感謝している自分がいた。
観念したようにため息を一つつく。
「ごめん。また話が戻っちゃうね。
でも…うん。なんだろう…ずっと悩んでいるんだ。
早く、今すぐにでも元の世界に戻りたいっていう希望。本当に帰れるんだろうかっていう不安。
それから、本当に今僕は帰って良いんだろうかっていうもう一つの不安。
それらが絡み合って…なんだかどれをとってもばつが悪いような気がするんだ…」
「そう…。そこまで悩ませてしまって本当にすまなかった…」
「いや、イネ=ノが悪いわけじゃないから謝らないで!
むしろ僕はイネ=ノに本当に感謝しているよ。
もし僕がこの世界に来た事をイネ=ノが知らなかったらって思うと本当にぞっとするよ。
もしかしたら僕処刑されて今ここにいなかったかも知れないんだし!」

そう…村で会った不思議な出来事とともに恐ろしい出来事にもあった。
もしキク=カの予言がなければ
あそこで僕の人生は終わっていただろう。
「確かに…僕もキク=カの予言がなかったら君がこの世界に来た事を知ることが出来なかったよ。
だから君に会えた事を本当に嬉しく思う。
おかげでとても貴重な体験ができた。
竹人、これは経験の一つなんだと思っておくくらいにしておいたほうがいい。
この世界にいる間はいろいろと勝手も違うから不安に思う事もあるかもしれないが
きっと元の世界に帰った後にこの世界に来て良かったって、少々押し付けがましいが
そう思ってくれると僕としても嬉しいよ。」
「イネ=ノ…」
「お茶はどうだった?」
「あ、おいしいよ。おかげで頭がずいぶんとすっきりしてきた」
そういいながらティーカップを持ち上げるともう一口お茶を啜って見せた。
「明日の朝、朝食の後にすぐに出発するよ。キク=カのところに寄り道していくのと、
中心宮までが少し遠くにあるからね。」
「うん。解った。」
「今夜は早めに休んだほうがいい。体を清めたらアキレスから薬湯をもらってくれ。
ゆっくり眠れる作用のあるお茶だから体を休めるにはちょうどいい。」
「ありがとう…何だか気を使わせてしまって」
「いいんだよ。じゃあ僕はいくよ。また明日来るからそれまでゆっくり休むといい」
「うん。有難う」もう一度イネ=ノに礼を言うとそれを確認したかのように
おやすみとだけ言い残して姿を煙のように消して見せた。
この光景が見れるのもこれが最後か…。
こんな不思議な光景、元の世界に戻ったら絶対に見られない。
そう考えると僕は今すごい体験をしているのかもしれない。
イネ=ノの言うとおりこの世界にきて良かったと思える経験を、しているのかもしれない。
確かにそうだ…。
元の世界では体験できないようなすごい事をいくつも経験していることに気がつく。
空を飛んだり不思議な生き物や動植物をみたり、神様とお茶をしたり…。

アキレスが入ってきたのでお風呂に入ってくるからと言い残し
着替えとタオルを持って庭に出た。
空はすっかり満点の星空で満たされ一日の終わりを告げていた。
この満点の星空を見るのも今夜が最後。
服を脱ぎ温泉に体を入れて温める。

ふぅ…あったかい…。

ゆっくりと息を吐くと湯気が空気の通り道を作って疲れの長さを知らせた。
気持いい。
やっぱり疲れたときはお風呂に限るなぁ…。

足の先っぽがぴりぴりするのがわかった。
それだけ体が冷えていたのだ。
お湯を尺って顔を洗う。
顔面もぴりぴりとするのが解る。なんだ、全身冷えてたんだ。
湯船には白い花びらがたくさん浮かんでいた。
石鹸のような、なんだか優しい香りがうする。
イネ=ノの仕業だろうか?
なんでもいい。とても癒される香りだ。

息をはきながら夜空を仰いだ。

そこには空一面、満点の星空が広がっている。
星空ってこんなに明るかったんだ。

元の世界に戻ったらそうそうお目にかかれる光景じゃない。
それこそまるで夢を見ているかのようだ。

夢…。

夢だったら…良かった?

ここに来たこと全てが夢でふと気がつくと元の世界に戻っていて…
いつもと変わらない日常が繰りかえされる…。

ここに来たことが僕にとってプラスであれ、とイネ=ノは言っていた。

もう十分だよ。

甘い香りのするお湯で顔を洗った。

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