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午後17時を回ったころで僕は個人レッスンを理由に途中で部活の席を外した。
本当なら部活動は18時まで行われる。
だがレッスンも18時からだ。
最後までやっていたら当然間に合わない。
片手でかばんを持ち、もう片方の肩にバイオリンケースを引っ掛けて歩いた。
日はまだ明るく依然木々のざわめきが心地よさを演出している。
帰りは朝来た正門とは間逆の方向から帰る。
学園の敷地が広いことは先ほど話したがそれゆえに最寄り駅が二つある。
中等部校舎はその中間あたりにありどちらから降りても良いのだが
朝は中等部の正門が近い金倉(かなくら)駅というところでおり
帰りは一つ家側に近づいた北金倉(きたかなくら)駅まで歩くことにしている。
北金倉まではちょうど中等部と大学棟脇の道をいく感じになるのだが
この中等部側の雑木林の中に先ほどの蛇と鷲がいるのだ。
思い出すだけで顔がにやけてしまう。
首なし鷲と首なし蛇が夜な夜なニョロニョロ、パタパタ…
ああ!!だめだ。おかしすぎる!!
「わっ!」
視線を少しそらしたところで突然現われたそれに驚き僕は思わず声を上げていた。
木々の中から白い人物の石膏の上半身が顔を覗かせていて、それと目が合ってしまったのだ。
び…びっくりした…。
雑木林の中から見えるのは
悲壮な表情をつくり片方の手には小さな草の束のような物を持ち
もう片方にはこん棒を振り上げるような形をして立っている石像であった。
と、
反対側の雑木林から突然ガサガサとなにかがこちらにやってくる音がし
思わず首なし石像の怪談を思い出し背筋を凍らせ、音のするほうを目で見張った。
次の瞬間、その草むらから出てきたのは、
さらさらの金髪に真っ白い肌、
グリーンの瞳に眼鏡を掛けた背の高い白人男性であった。
「どうしたの?」
僕が口をぽかんと開けて佇んでいるとその青年はそっと微笑みながら問うた。
「え…あ………えと…」
石像で驚いていたのと予期せぬ白人の突然の登場に状況把握できず
僕は動くことができないでいた。
やっとの事で口が動く
「あ……っと…ノー…プロブレム…えと…なんだっけ…」
動揺のあまり頭の回転が鈍く、英単語が出てこない。
「ふふ…日本語で大丈夫だよ。」
その外人は僕を安心させるようにもう一度優しく微笑んで見せた。
なんでこんなことろに…
ああ…そうか大学の…
留学生かなにかだろうか?
手には何か難しそうな分厚い本と小さな細い水筒を持っている。
「あ…すいません。石像に驚いただけで…」
そういって目で先ほどの石像を指す。
「ああ、これね。多いよねこの学園。こっちにも別の石像があったよ。」
流暢な発音のいい日本語で話しながら親指を立てると自分の背後を指差した。
「それはなに?君、楽器やってるの?」
僕の肩に引っかかったバイオリンケースを指差した。
「あ、はい。バイオリンです。」
「もしかして弦楽部?」
「そうです。」
会話のやり取りで少しずつ動揺が解けていく。
「僕も高等部まで弦楽部でバイオリン弾いてたんだよ。」
「え、そうだったんですか?!」
どうやらOBらしい。
金髪のバイオリニスト…。
想像しただけで、なんて絵になるんだろうと惚れ惚れするぐらい
この人の容姿にはバイオリンが似合っている。
「もうすぐで夏の定期演奏会だよね。今年は何をやるの?」
「チャイコフスキーの弦楽セレナーデです」
「いいねぇ。僕も聴きに行く予定だよ。演奏頑張ってね。」
「あ、はい。」
ちょっと緊張しつつも笑顔で元気良く返事をしてみせた。
じゃあ、と言って駅のほうへ歩き出そうとしたところ
「射川竹人君!」と突然フルネームを呼ばれ驚いて振り向く。
「校内バッチつけたままだよ」
そういって自分の胸を指差して見せた。
ああ…。
ブレザーの胸ポケットにある、校内だけで付けるバッチがついたままである事に気がつく。
まだこのシステムに慣れずそのまま電車に乗ってしまったり先輩に注意された事が
これまでにも何度かあった。
「有難うございます」
軽く会釈する。
「待って。」
立ち去ろうとする僕をもう一度引き止めると
その人は僕の前までやってきた。
「僕の名前は羽鳥(はとり)翼(つばさ)。大学で物理学を専攻しているんだ。」
突然の自己紹介にちょっとびっくりした。
と言うか…日本名なんだ…。そちらにも少し驚いた。
「駅ならこっちの道に行ったほうが近道だよ。」
そういいながら雑木林の中を指した。
よくよく見ると石畳の小さな小道が駅の方向に続いている。
「それから、これ」
そういいながら持っていた水筒を僕の手に持たせた。
そのとき手と手が触れ合う。
なんて冷たい手なんだろう…。
「あの…?」
「紅茶を淹れるのが趣味でね。良かったら飲んで」
「え…でも…」
「次に会った時にでも返してくれればいいから。」
次に?
この広い学園でまたすぐに会える確立なんてそう高くない気がしたのだが。
僕の表情を察したのか羽鳥翼はまた白い笑顔を作って見せた。
「いつもこのぐらいの時間にこの辺を散歩してるから、きっとまた会えるよ。
じゃあ、気をつけて。」
そういいながら軽く手を振ると背を向け少し足早に去っていってしまった。
僕の次の言葉も待たずに。
初対面の人間にいきなり水筒渡してまた会えるよって…
なんだか変わった人だなぁ…。
仕方がなくそれをかばんの中にしまうと教えられた小道を進んだ。
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