第七章:神様の僕3

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気がつくと部屋はオレンジ色の光に包まれていた。
体には柔らかで暖かい布がかけられている。

どうやらいつの間に眠ってしまったようだ。

イネ=ノの姿はない。

あれからずいぶんと話した。

僕の生まれた町、国、世界、文化、文明、友達や家族のこと、学園生活や今勉強している内容など…。
自分が生まれ育った世界を語るなんて慣れなくて最初はぎこちなかったが
だんだんとそれに慣れ、最後のほうはまるでプレゼンでもしているかのように
順序だてて気持ちよく話せていたと思う。

だがやはり体がこの世界の時の流れとは違うせいか、時間がたつにつれ
疲労感を覚えていった。

不思議とおなかは空かなかったが
眠気には勝てなかった。

イネ=ノの世界の話を聴こうとしたところで記憶は途切れている。

さすがに失礼だよな…
気を悪くさせたのではないだろうかと思ったが
そのイネ=ノの姿はない。

「タケト様、お目覚めですか?」
タイミングよくアキレスが部屋に入ってきた。

「ああ…ごめんなさい。どうやら僕眠ってしまったようで」
「良いのですよ。慣れぬ場所でお疲れでしょう。
どうぞゆっくりと体を休めてください。」
最初はあまりにも入間にそっくりで驚いたが立ち振る舞いがぜんぜん違う。
気がつくとアキレスが入間とは別人格の持ち主である事を認識できていた。
「食事はどういたしましょう?」
「ああ…なんだろう…この世界に来てから一度も食事してないんだけど
なぜか、おなかが空かないんだよね…」
「お茶を召し上がったからでしょう。イネ=ノ様が体を気遣ってお茶の中に
体力が回復する魔法をかけておられましたから」
「魔法?」
思わず小首をかしげる。
「はい。回復魔法でございます。
イネ=ノ様の得意技の一つですよ」
そういって大人びた笑顔を見せた。

やっぱり入間はとは別人だ。
改めてそう思った。

「そういえば…イネ=ノは?話している途中で僕、眠ってしまったみたいで…
怒ってなかったかな」
「大丈夫ですよ」
フフフと笑いながらアキレスは両手をオーバーに広げて見せた。
「あのお方が怒るなどよほどのことが無い限りありえないでしょう。
大丈夫です。ご心配は無用ですよ。
イネ=ノ様は仕事のため少々席をはずされていますがもうじき戻られます」

「そう…良かった…じゃあ…イネ=ノが戻ってきたら一緒に食事したいな」
「かしこまりました」
にこりと微笑み一度頭を軽く下げた。

「そう…竹人様に一つお話しておかなければならないことがあります」
突然声のトーンが下がる。
「…何?」
「実は、竹人様の存在はイネ=ノ様と私しかしりません。
もし異世界からイネ=ノ様そっくりの異邦者がやってきたと他のものにわかったら
大騒ぎになります。
ですのでどうかこの部屋からお出にならないようにしていただきたいのです。
もちろん、何か不自由なことがありましたら遠慮なく私めにお申し付けください。」
「え…ああ…そうなんだ。分かったよ」
僕がにこりと微笑むとアキレスは安心したように小さなため息をついて
では、と挨拶して部屋から出て行った。

そうか…だから…
村で僕を探すとき、記憶喪失のイネ=ノって事にしなければいけなかったんだ。
言動が怪しくても記憶喪失だからって事で済むし…。

両手を天井に向けて思い切り伸びをしてみせる。

これだけ広い部屋に窮屈さなんて感じないし
一通りのものは全て揃っている。
不自由なんてない。

両手を後ろ手で組んでゆっくりと部屋を見回しながら歩いた。
本棚の前まで来て止まるとその背表紙を眺める。
ぜんぜん見たことの無い言語だ。

なんて書いてあるのだろう。

一冊手に取った。
意外と重い。

テーブルによっこいせと置いてみせると
ハードカバーの表紙をめくって見せた。

と、突如本の中から柔らかな光が生まれた。
甘い香りがする。

一体なんなんだ?
目を細め光の正体を探すと、
本の中でふわりと花が咲いていた。

え?!

さらりと優しく風になびきながら花が美しく咲いている。

なんだこれ?!

そっと手に触れてみると
紛れもない、本物の花の感触を受けた。

花の下に呪文のような文章がびっしりと現われる。

これは…
本物の花に触れられる百科事典?!

なんて不思議な…。

ページをめくるたびに新しい花に触れることができた。

どれも真新しいものばかりかと思いきや
意外と道端にさいているのと同じような素朴な花もあったりで
かなり楽しい。

じゃあ…他の本もこんな感じなのかな?

楽しくなって花の百科事典を閉じて本棚に戻すと
いかにも重そうな大きな本を引っ張り出す。

これは何の本だろう。

ページをめくる。

突然本の中から突風が吹き荒れた。
嵐が生まれ豪雨が飛び出し雷の稲妻が光った。

「うわぁっ!!」

慌てて本を閉じた。

しかしときすでに遅く服も髪も、テーブルの周りもびしょぬれである。

あーあ…。

何の本だったのかは分からないがこれは外れだな…。

そうか…こんな危険なものもあるんだ。
気をつけなくちゃいけないな…。

ソファにおいてあったひざ掛けのような布を持ってくると
テーブルと体、そしてその本を拭いて本棚に戻した。
と…一瞬にして水が蒸発するように輝いたかと思うとあっという間に
消えてしまった。
なんて凄い…。
思わず息を飲む。

面白いなぁ…いつかみた魔法学校映画の小道具に出てきそうだ。

そうだ…外はどうなっているんだろう。
小走りで窓のほうへ走り寄った。

茜色のガラスの向こう側を覗く。

ん?

巨大な半円形の窓の外にはテラスがあり、その先には美しい花が咲き誇る広大な庭があった。
とにかく広い。
ちょっとした森林公園くらいの広さはあるんじゃないかと思わせるほどだ。

どちらかというより木よりも花がメインで
あちこちに道がありベンチがあり噴水のようなものがあり…。
昼間明るくなったら散歩してみたいほどに美しかった。

全てが夕日の美しい橙色に染まっている。
少しまぶしい。

と、そこまでは理解できるのだが、
その庭の先に目線を移動していくと
違和感を覚えずにはいられなかった。

庭が船のデッキのように先端がとがった形になっていて
その先は夕焼け空が続いていた。

よほど高い場所にこの建物があるのだろうか?
それにしても地上が見えない。

ここからでは遠すぎてよく見えないが、
まるでこの建物が宙に浮かんでいるようなそんな感覚を覚えた。

いや…もしかして…。

窓をあけベランダに出てみる。

11月の冬のような冷たい風が吹いていた。
それほど強くは無いがやはり寒い。
この地はもともと気温が低いところなのだろうか…。

ベランダから乗り出してみるがやはり庭の外側を確認する事は出来なかった。

ただ、この寒さだというのに花たちは健気に夕日の光を浴びながら健気に咲き誇るその姿が
なんともいとおしく切なかった。

「庭の景色はどうだい?」
後ろで声がしたので振り返った。

トレンチコートのようなものを羽織ったイネ=ノが立っていた。

「おかえりなさい」
そういいながら部屋の中に入り窓を閉めた。

「見ていてもいいんだよ?」
そういいながらコートを脱いだ。

「ありがとう…あの…さっきはごめんなさい、話の途中で…」
僕の言葉が終わらないうちにイネ=ノはにこりと微笑みながら言った。
「いいんだよ。相当疲れていたみたいだしね。
今夜もゆっくり眠るといい。」
その言葉にほっと安心する。

「綺麗な庭だね。花がすごいなぁ…」
「ありがとう。キク=カからもらった種をまいたらたくさん咲いてくれてね。
僕としても嬉しいよ。
あ、そうそうキク=カがぜひ君に会いたいって。これおみやげ」
そういいながら小さなえんじ色の巾着を僕に手渡した。
どうやらキク=カのところへ行っていたらしい。

「開けてもいい?」
上目遣いでイネ=ノの表情をみた。
にこりと微笑みながらイネ=ノは頷いてみせる。

なんだろう…
そっと巾着の紐を解く。

手のひらにそれを出してみると
キラキラと雪の結晶のように光の粒がこぼれ出た。

「わぁ…」
思わず声を漏らす。

なんて綺麗なんだ…。

クリスタルガラスでできた金平糖のようなものがたくさん入っていた。

「これは何?」
「光花(ひかりばな)の種だよ。植えればすぐに花をつけるんだ。
君が元の世界に戻るまで少しだけ時間がいるようだから
その間に退屈しのぎにって。」
「光花…。どんな花が咲くんだろう。楽しみだなぁ」
聞いたことのない名前だが
こんな綺麗な種だ。
きっと見たこともない美しい花を咲かせるのだろう。

「明日庭に撒いてみよう。二日か三日くらいで開花するらしいよ」
「え?!そんなに早いの?」
ニコリと微笑むイネ=ノ。

何から何まで…本当にこちらの世界と僕のいた世界とでは勝手が違うようだ。

「そうだ…庭をみていたんだけど…庭の先はどうなってるの?」
ベランダで感じた疑問をイネ=ノに問うた。

「ああ…ここね、浮いてるんだよ」
「へ?」
イネ=ノがあまりにもさらりというので一瞬理解できなかった。
「浮いてるって?」
「この宮殿は空に浮いてるんだ。
だから一般人は中には入れない。
兵士たちも宮殿入り口の門のところまでしか来れないんだよ。」

え?
兵士たちに連れて行かれてみたあの立派な建物が宮殿かと思っていたのだが
あれは、ただの門にすぎなかったのか。

「さぁ、食事にしよう。私の部屋においで」
「え?!ここ、イネ=ノの部屋じゃなかったの?」
「違うよ。君の部屋さ」
「…僕の?」
「好きに使って良いから。何か足りないものとかあったらアキレスに言えばいい。
この部屋の向こうに待機するように言ってある」
「え…あ…。いいの?こんな広い部屋」
「ははは…気を使わなくて良いんだよ。せっかくなんだからゆっくりするといい。
庭も君専用だよ。好きに散歩してくれてかまわない」
「はぁ…」
驚きのあまり言葉を失う。
さすが宮殿クラスになるとこんな広い部屋を用意するのも簡単なことなんだろうか。
「さぁ、こちらへ」
そういいながらイネ=ノは僕に手を差し出した。
僕はその手をそっと受取る。
と、次の瞬間
気がつくと僕は別の場所にいた。
今までいた部屋じゃない。
広い温室のような部屋…。
巨大な円形型の部屋の中にたくさんの植物があって噴水からは綺麗な水が溢れ出していた。
壁はガラス張りで夕日の光がきらきらと差し込んでいる。
照明は光るガラスの玉のようなものがあちこちに浮いていた。
村で見た道化師の光る玉を思い出したがそれよりも
光り方が自然で優しい。


「ここ…」
「ようこそ、私の部屋へ」
「え?ちょ…ええ?!だって…どうやって?」
すると何も言わずイネ=ノはにこりと微笑むだけだった。

思わずため息をつく。

何が何だか…。

分からないことだらけの世界。
何もかも慣れない。
ただただ驚きの連続でしかなかった。

そして、このイネ=ノの部屋も例外ではなかった。

たくさんの見たことも無い美しい花がある。
花壇のようなものに植えられているのもあれば
ガラスの球体の花瓶に植えられていて、宙をふわりと浮いていた。
何かで天井から吊っているのではなく本当に浮いてる。
部屋の奥はちょっとした理科室のようになっていて
実験道具のようなものが並んでいた。
本棚もある。
きっと開くと何か不思議なことが起こるに違いない。

「…すごい」

部屋は花の甘い香りでいっぱいだった。

「イネ=ノは花が好きなの?」
「いや…これは薬に使うんだよ。
君の世界でもそうだろ?」
「え?ああ…そうか…」
「ここは僕の仕事部屋なんだけど、憩いの場でもあるかな。
綺麗な花に囲まれていると本当に心が和む」
そういいながらイネ=ノは部屋の中央にあるテーブルにもたれ掛かってみた。
「どう?」
「いや…どうって…すごいとしか…
なんていうか、本当に不思議だよ。花が空を浮いてるし
水の色は宝石みたいに七色に光ってるし…
僕の世界じゃありえない…
綺麗だ…」
有難うと礼をいうとイネ=ノは椅子に座りながら
僕にも座るように促した。

「失礼します」
アキレスが食事をもって現われた。
テーブルにそれらが並べられる。

すごい…どれも見たことの無いものばかり…いや
村のテントに並んでいた野菜もあった。

いただきますと手を合わせてフォークを手に取った。


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